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東京家庭裁判所 昭和41年(家)5699号 審判

申立人 小山明(仮名)

主文

本件申立を却下する。

理由

申立人は、「本籍千葉県銚子市○○町七三五番地筆頭者小山明の戸籍中長女梨香とあるを里香と訂正することを許可する」旨の審判を求め、その申立の実情として述べる要旨は、申立人とその妻文子間に昭和四一年三月一六日長女が出生したので「梨香」と命名し、同月二九日出生地である長野県上水内郡信濃町役場に出生届をしたところ、同年四月一九日同町長より、出生子の名梨香の「梨」は戸籍法第五〇条同施行規則第六〇条の規定に違反した文字であるから、家庭裁判所の許可を得て戸籍訂正をするようにとの通知を受けたので本申立に及んだものであるが、申立人としては、折角つけた名前であるから、このまま変更しないでおきたいというにある。

よつて判断するに、「梨」の字が当用漢字表(昭和二一年一一月一六日内閣告示第三二号)および人名用漢字別表(昭和二六年五月二五日内閣告示第一号)のいずれにも掲載されていないことは申立人の述べるとおりであり、したがつて申立人等のその長女に対する命名が、戸籍法第五〇条、同施行規則第六〇条に形式的に違反することは明らかである。

しかしながら、ある人間が出生して一旦命名され、それが戸籍簿に登載された以上、それによつてその人間の固有名詞は法律的に特定され、またそれによつてその人間の社会生活上の諸関係もその固有名詞をもつて動きはじめているのであり、更に、人の名は法的人格者の同一性を表徴する記号たる機能をもつため、なるべく一貫性を保つて呼称秩序の静的安定を図ることが望ましいものであるから、一旦戸籍簿に登載された名の訂正は、それが常用平易な文字の範囲を大きく逸脱した場合を除いては、たやすく認められるべきものではないと解するところ、本件において問題となつている¬梨」の字は、現在の社会通念から考えて、常用平易な文字の範囲を大きく逸脱しているものとは到底考えられない。すなわち、梨の字は山梨県、山梨市という県名、市名にも用いられ、したがつて官報、新聞、雑誌、テレビ等にも常用され、また字画も決して複雑とは言えない文字であると解する。またそれゆえにこそ、戸籍吏も梨の字は当然当用漢字表に含まれているものと錯覚して、申立人の出生届出をそのまま受け附けたのであろう。(なお、上記山梨市の市制施行は昭和二九年であり、したがつて上記当用漢字に関する内閣告示の後に命名されたものと推測されるが、地方自治体の名称には当用漢字の制限がなく、個人の名称にはその制限があるということは、まことに不合理というべきであろう。)

以上のとおり、梨の字は常用平易な文字の範囲を逸脱しているものとは認められないから、本件戸籍訂正の申立はその理由がなく、これを却下することとして主文のとおり審判する。

(家事審判官 日野原昌)

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